「出会い」

楽健法との出会いは、母がガンになったことからでした。生前母は治療に代替医療を取り入れていました。そんな折、知人から「楽健法」を紹介されたのです。けれども当時は楽健法を受けられる所はなく、母には楽健法を受けてもらうことはかないませんでした。しかし、母が亡くなる少し前に父にもガンが見つかり、私が習いに行くことになったのです。そして、ガンの治療に加えて楽健法を取り入れることにしました。父は徐々に元気になり、ガンの示す数値は安定し、母の死から十年が経ち八十四歳なった現在も仕事で駆け回っています。まだ未熟だった私の楽健法がどのくらい役に立ったのか分かりませんが、楽健法を通して多くの時間を父と共有することができました。母を亡くして落ち込んでいる父にとっても、父に何かしてあげたいと思っていた私にとっても、とても有意義な時間が持てたのです。楽健法がなければ、落ち込む父をただ見ているしかなかったでしょう。

「私の体験」

楽健法を始めてしばらくすると私の身体にも変化が出てきました。実は私は幼少の頃から体が弱く、旅行に行けば高熱を出し、毎年夏休みの後半は家で寝込んでいました。そして十代の頃、過激なダイエットを繰り返していた私は、二十歳を過ぎると毎月のように風邪をひき、貧血、低血圧で倒れ、偏頭痛、便秘、腰痛、膝痛、花粉症。飛蚊症まであり、不定愁訴の塊のような人になっていました。むくんだ脚は正座することも大変で、夜中に何度もトイレに起きるたびに、将来に対する不安を感じていました。

楽健法を始めた頃は、足を触られるだけでも痛みがあり、思わず先生の足を払い除けてしまったこともありました。そんな私も楽健法を初めて三年もすると、風邪は殆どひかなくなり、偏頭痛は治り、血圧は安定し、花粉症も飛蚊症も軽減していました。夜中にトイレに行くこともありません。今もまだ健康だと胸を張って言える状態ではありませんが、四十五歳の私は二十歳代の私より元気なのは確かです。

私の体調が整ってくると、自然と友人や知人に楽健法を頼まれることが多くなってきました。そこでここからは楽健法を通して出会った人たちのお話ししたいと思います。病気が治らないまでも、楽健法に出会って良かったと思えた体験をお話します。

「心を支える楽健法」

知人の紹介で末期のガンの方と知り合いました。その方はもう長いこと食事の途中で吐くことが多くなっていました。その方は私の家からはお住まいが遠く、楽健法が気軽に行える環境ではなったので、家族の方に覚えていただき家でやっていただくことになりました。体力がなかったので、朝、昼、晩にほんの少しずつ楽健法をしてもらいました。そのうち物が食べられるようになり、お嬢さんから「父の大好きなプリンを食べた時、吐かずに全部食べられました。来月は治療を兼ねた旅行に行きます。」と聞いたときは、とても嬉しかったのを覚えています。その後、残念ながら望むような改善することはありませんでした。しかし、ご家族の方から「旅行には行くことが出来ました。楽健法はとても気持ちがよかったと言っていいて、この時期に楽健法を通してお互いに精神の安定が得られたことはとても良かったです。」という言葉をおききし、治るということだけでなく、どのように病気と向き合うか、どのような時間を過ごすかということが、本人や家族にとってとても大切なことなのだと改めて感じたのでした。

もう一人、末期の肝臓病を患っていた方のお話です。その方は以前はとても明るく笑顔の素敵な方でした。しかし、私と再会した頃は、思わしくない検査結果に落ち込み、厳しい食事制限と、長く終点の見えない治療にほとほと疲れている様子でした。そこで、楽健法友の会にお誘いし、仲間と一緒に楽健法をしてもらうことになりました。最初は楽健法が終わると直ぐに帰って行かれていましたが、そのうち友の会の皆さんと打ち解けると病気以外の他愛のないおしゃべりをしたり、評判の自然食のお弁当を食べたりと、その場を楽しんで帰って行かれるようになりました。検査の結果が良くない時も、「不思議と怖くないの。とても病気とは思えないわ。こんな感じ久しぶり。」と話してくれました。私たちは楽健法をしながらたくさんの話をしました。時には泣きながら、時には笑いながら、そして、将来しててみたいこと、行ってみたい所、いろんな話をしました。その後、事情があって楽健法を続けられなくなり、その後お会いすることは叶いませんでした。でも、あの時、彼女の笑顔も言葉も本物だったと思います。それを引き出したのは楽健法と、楽健法を一緒にやった仲間いたからだと思っています。治ることはなかったけれど、楽健法を通して最後に命を輝かすことが出来たのだとすれば、それはそれで素敵なことだと思ったのです。

「楽健法でグループワーク」

楽健法を通しての出会いは個人だけではありません。楽健法を始めて数年目、縁あって私は、心の病を抱える若者とその家族、そして彼らを支えているソーシャルワーカーの方々と一緒に楽健法をすることになりました。その方たちは「パートナーシップ」という考え方を大切にしていました。パートナーシップとは、医者やソーシャルワーカーなどの専門家が病気を治すのではなく、病気を抱えている人たちのパートナーとして寄り添いながら、彼ら自身がバランスを取りながらうまく歩いて行けるように支えていこうという姿勢です。心の病は薬を飲んだり、手術をして直ぐに症状を抑え込める病気ではありません。生活の中で環境を整え、人間関係を再構築し、良くなったり悪くなったりを繰り返しながらバランスを取っていかなければなりません。そこで、私たちは当事者や家族、スタッフと一緒に毎月「心を支える体づくり」を目指して楽健法のグループワークをしています。終わったあとには、皆さんとお茶をしながら感想を言い合っています。その時の印象に残った感想をいくつかご紹介します。

うつ病を抱える四十代女性・・・「薬の副作用でフラフラしたり、便秘になったりしていましたが、楽健法をするようになってから、良く眠れるようになり薬の量を減らすことが出来ました。」

心の病を抱える二十代女性・・・「バイトを始めましたが、緊張と久しぶりの立ち仕事でとても疲れます。ここで楽健法を習って、家で母と踏み合っています。」

心の病を抱える二十代男性・・・「家で楽健法をお母さんにやってあげている。喜んでもらえて嬉しいです。」

DVを受けていた女性・・・「人には鉛のような硬くて冷たく恐ろしい印象がありました。でも楽健法をしてみて、人の体は温かいのだと感じました。」

当事者の家族・・・「息子は緊張のせいかとても肩が凝るので、マッサージをして欲しいと頼まれ、以前は手でしていました。楽健法だととても楽に出来るので助かっています。」

これらはほんの一部です。皆さん、自分一人で抱えていた問題をグループでワイワイと楽健法をしながら分かち合っています。心の問題だけではなく、身体の問題にも共通することですが、「パートナーシップ」の姿勢こそが楽健法なのではないかと思います。特別な技術を持った専門家が治すのではなく、生活の中でお互いを踏み合いながら、環境を整え、人間関係を築き、良くなったり悪くなったりしながら心と体のバランスを取っていくのだと思います。

「これからの楽健法」

これから日本は超高齢社会に突入します。私たち四十半ばの人たちが歳を取った時には、医療や介護は高額になり、今のように気軽に受けられることはなくなるかもしれません。また、支える側の人間も極端に減って来るでしょう。その時のために今、健康について私たちは真剣に考え治さなくてはいけないと思います。

「病気になったら医者に治してもらうといった考えを改めて、自分自身で健康を管理していくという覚悟が必要だ」と山内先生はことある毎に私たちを諭しておられます。このことに私たちは真摯に向き合うべきだと思っています。そして山内先生は「楽健法とは健康法というだけでなく生き方そのものだ」とも。私はそのことが楽健法の最大の魅了なのだと思います。

楽健法を始めた当初、私は自分と家族のことだけ考えていました。でも、先生が私に「自分なりの楽健法を伝えてごらんなさい」と声をかけてくださいました。それから私は楽健法を通して多くの人に巡り合えたこと、経験したこと、これらすべてが「楽健法」だと思うようになりました。

楽健法を通して、自分自身と真摯に向き合い、人と人がつながっていく取り組みは、まだ始まったばかりです。自分のためだけに行う健康法ではなく、誰か特別な技術を持った人が行う治療でもない、「お互いさま」の楽健法だからこそできることがあると私は思っています。

「終わりに」

2011年3月11日、想像をはるかにこえた大きな災害が東北の人たちを襲いました。

自分ではどうにも出来ない自然の力を思い知らされました。それから半年ほど経った頃、楽健法友の会の方とボランティア団体を立ち上げ、被災地に行って楽健法を行なう試みを始めました。過酷な避難所生活で頼りになるのは一緒に暮らすコミュニティーの仲間です。その仲間と集まって、お互いを労わりあう。お互いの体を踏み合いながら、心もほぐれていく。決して問題が解決するわけではないけれど、ホッとできるひと時を身近な人と過ごすことが、次への一歩の糧になると信じ、願っています。

今後は楽健法の仲間と協力し合って、被災地にだけでなく、多くの方々と、「お互いさま」を合言葉に皆さんと一緒に元気になれたらと思っています。